▼その高校の校庭には、白人生徒が集まることから「ホワイト・ツリー」と呼ばれる樫の木があった。白人生徒たちの休憩場所となっていた。黒人生徒は使えなかった。
▼昨年の夏、ある黒人生徒の一人がそこに座る権利を学校に求め、実際にそこに座った。すると翌日、この木に絞首刑用のロープ三本が吊るされていた。かつて米国では、黒人をリンチし木に吊るしていた。黒人差別の意味は明らかだった。
▼校長は木を切り倒し、犯人の白人生徒三人に退学勧告したが、教育委員会がこれを差し止め、三日間の停学処分に変更。これに黒人生徒らは憤慨、乱闘や放火まで発生し、昨年十二月四日、乱闘の被害者となった黒人をからかった白人生徒に黒人生徒六人が暴力をふるい、逮捕された。
▼「私がペンを一走りさせればお前ら(黒人)の人生なぞ消し去ることが出来る」と豪語したことのあるJ・リード・ウォルターズ検事は、未成年の高校生を第二級殺人未遂罪で訴追、テニスシューズを「致死性のある武器」とまで主張した。
▼審理が進むにつれ「人種差別による不正裁判だ」と検察当局を非難する声がわき起こり、全米へと広がった。公正な裁判を求める著名運動では三十八万人が集り、全米有色人地位向上協会(NAACP)は六人の裁判費用捻出のための基金を設立、歌手のデビッド・ボウイが一万ドル寄付した。
▼そしてある審理の日、人口三千人の町は、それをはるかにこえる数万人のデモ隊で埋め尽くされた。ラッパーのモス・デフやUGKのバン・Bの姿もあったという。学校は休校、商店街も店を閉めた。しかしこの日の審理で、事件当時十六歳であるにも関わらず九カ月以上拘留されたままのマイケル・ベルの保釈は認められなかった。
▼これがルイジアナ州の小さな町、ジーナで去る九月二十日に起きたことである。この事件は通称「ジーナ・6(シックス)」と呼ばれ、今後も予断を許さない。
Friday, September 28, 2007
Sunday, September 16, 2007
日本の二大政党制が始まった
▼ついに安倍首相が辞意を表明した。改造内閣スタート直後の首相の辞意表明に日本全国に激震が走った。海外メディアもいち早く速報した。
▼就任以来、「政治とカネ」を巡るスキャンダルや失言で閣僚の辞任が相次ぎ、年金問題もあって7月の参院選では与野党が逆転する歴史的敗北。内閣改造を行ったが、またすぐに閣僚が辞任した。普通ならとっくに辞めているところだが安倍首相はなかなか辞めようとしなかった。今回、辞意に至ったのは、どうやら十一月で切れるテロ対策特別措置法延長問題のようである。
▼首相はテロ特措法に基づく海上自衛隊のインド洋での給油活動を継続できなければ退陣する決意を示していた。一方、民主党の小沢代表は八月、シーファー駐日米大使に対し「直接的に国連安全保障理事会からオーソライズ(承認)されていない。活動には参加できない」と延長反対の考えを明確に示していた。
▼北朝鮮から、六カ国協議はどうせ米国の言うがままなのだから日本は出る必要はないと言われたことは記憶に新しい。米国はその北朝鮮の核問題で拉致問題を曖昧にしたまま北への「譲歩」を続けている。下院では「従軍慰安婦決議」が成立した。日本人の中には小沢代表の毅然とした発言に溜飲を下げた人もいたかも知れないが、小沢氏は別に「反米」を掲げたわけではなく、民主党の「国連中心主義」の原則を述べたに過ぎない。
▼あれほどの支持率低下でも辞めなかったのが、テロ特措法を巡り野党と対立したからといって辞めるとは、「責任放棄」(古賀誠・自民党元幹事長)と言われても仕方ない。これまでの「対米従属」ばかりが日本の外交ではなくなってきているのだ。
▼与党・自民党が圧倒的に強かった時代は終わった。日本で二大政党制が始まったことに、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げた安倍首相自身がついていけなかったようだ。
▼就任以来、「政治とカネ」を巡るスキャンダルや失言で閣僚の辞任が相次ぎ、年金問題もあって7月の参院選では与野党が逆転する歴史的敗北。内閣改造を行ったが、またすぐに閣僚が辞任した。普通ならとっくに辞めているところだが安倍首相はなかなか辞めようとしなかった。今回、辞意に至ったのは、どうやら十一月で切れるテロ対策特別措置法延長問題のようである。
▼首相はテロ特措法に基づく海上自衛隊のインド洋での給油活動を継続できなければ退陣する決意を示していた。一方、民主党の小沢代表は八月、シーファー駐日米大使に対し「直接的に国連安全保障理事会からオーソライズ(承認)されていない。活動には参加できない」と延長反対の考えを明確に示していた。
▼北朝鮮から、六カ国協議はどうせ米国の言うがままなのだから日本は出る必要はないと言われたことは記憶に新しい。米国はその北朝鮮の核問題で拉致問題を曖昧にしたまま北への「譲歩」を続けている。下院では「従軍慰安婦決議」が成立した。日本人の中には小沢代表の毅然とした発言に溜飲を下げた人もいたかも知れないが、小沢氏は別に「反米」を掲げたわけではなく、民主党の「国連中心主義」の原則を述べたに過ぎない。
▼あれほどの支持率低下でも辞めなかったのが、テロ特措法を巡り野党と対立したからといって辞めるとは、「責任放棄」(古賀誠・自民党元幹事長)と言われても仕方ない。これまでの「対米従属」ばかりが日本の外交ではなくなってきているのだ。
▼与党・自民党が圧倒的に強かった時代は終わった。日本で二大政党制が始まったことに、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げた安倍首相自身がついていけなかったようだ。
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