▼唯一の被爆国である日本が61年目の夏を迎えた。伊藤長崎市長は平和宣言で、核開発が疑われているイランや北朝鮮を名指しし「世界の核不拡散体制は崩壊の危機に直面している」と深い懸念を示した。
▼ネバダ州の核実験博物館では「原爆展」が開幕した。被爆者の声を代表した丸田和男さん(74)は、現在も約一万発の核弾頭を保有する米国に廃絶に向けた行動を求めた。聴衆の多くは平和への願いを真摯(しんし)に受け止めたが、「核廃絶は理想論」との冷めた意見もあった。
▼退役軍人のひとりは「何故あの戦争が始まったのか。日本の中国侵略など米国が核保有を迫られた状況に全く触れていない。もし日本が先に核兵器を持っていたら、もっと多くの被爆地があっただろう。彼らの核廃絶は理想論にすぎない」と批判した。
▼何故、イランや北朝鮮は核兵器を持ちたがるのか。イランも北朝鮮も「自衛のため」と言う。「恐怖の均衡」や「核抑止力」により自国が守られるとするいわゆる冷戦以来の「核信仰」だ。
▼「生存圏確保」や「自衛」はナチスドイツや軍国主義の日本でも語られていた。また、戦後の世界は核保有国が強力な影響力を持った。国連で拒否権を持つ安保理常任理事国はすべて核保有国であり「核兵器クラブ」と揶揄されたほどである。
▼戦争は古来、「戦争は他の手段をもってする政治の延長」(クラウゼビッツ)で、軍人同士が戦うものだった(カルタゴなど例外もあるが)。それが近代にはいると市民やインフラも対象とする「総力戦」に突入、無差別攻撃の最たるものとして米国は日本に原爆を落とした。
▼ベストセラー『バカの壁』などで知られる養老孟司氏は著書『まともな人』で「なぜわれわれは、戦争がやめられないのか。正義の戦争があるからであろう。さらにいうなら、正義があるからだろう」と看破している。
▼この地上から核兵器や戦争をなくすには「正義という名の原理主義」も廃棄しなくてはいけないのかも知れない。(西)
(CAPITAL06年8月15日号より転載)
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