▼山形県鶴岡市の元自民党幹事長加藤紘一衆院議員の実家と事務所が8月15日に全焼した。右翼団体の構成員が敷地内で腹部から血を流して倒れているのが見つかった。割腹自殺を図ったとみられ、病院に運ばれ、29日に放火などの疑いで逮捕した。
▼犯行が終戦記念日の8月15日で、加藤議員が小泉首相の靖国神社参拝を批判していることから犯行に及んだと見られる。だとすればテロそのものである。
▼「テロとの戦い」を掲げてきたはずの小泉首相は28日なってようやく、「暴力で言論を封じることは、決して許されることではない。厳に注意しなければならない」と述べ、自らの参拝が「ナショナリズム」をあおり立てているとの指摘については否定したが、果たしてそうか?。
▼警察庁の漆間巌長官は「加藤議員の発言から、右翼団体の反発が予想され、山形県警も当日、異常がないか連絡を取っていた」という。残念ながら未然に防ぐことは出来なかった。
▼9月に安倍氏が自民党総裁になった場合、事態はさらに悪化するかもしれないと加藤氏は言う。なぜなら小泉首相はまだ東條たちが戦犯だと認めているが、安倍氏はその考えを受け入れていないというのだ。安倍氏は祖父・岸信介元首相の考え方に強く影響されていると加藤氏は指摘する。岸氏は戦後、戦犯に指定されて拘束されたが東京裁判で訴追はされず、後に首相となった人物だ。
▼加藤氏は「非常に強い反中かつ反韓、時には反米的でもある愛国主義が日本に広がっていることが、心配だ」と懸念している。
▼日本がどうして先の愚かな戦争をしてしまったかについて、当時は戦争に突き進まなければテロられるような状況に政治家が追い込まれていた面があることを指摘する研究家もいる。どんな主義・主張を掲げようと、テロは決して許してはならない。(西)
(CAPITAL06年9月1日号より転載)
Tuesday, August 29, 2006
Friday, August 11, 2006
正義という名の原理主義
▼唯一の被爆国である日本が61年目の夏を迎えた。伊藤長崎市長は平和宣言で、核開発が疑われているイランや北朝鮮を名指しし「世界の核不拡散体制は崩壊の危機に直面している」と深い懸念を示した。
▼ネバダ州の核実験博物館では「原爆展」が開幕した。被爆者の声を代表した丸田和男さん(74)は、現在も約一万発の核弾頭を保有する米国に廃絶に向けた行動を求めた。聴衆の多くは平和への願いを真摯(しんし)に受け止めたが、「核廃絶は理想論」との冷めた意見もあった。
▼退役軍人のひとりは「何故あの戦争が始まったのか。日本の中国侵略など米国が核保有を迫られた状況に全く触れていない。もし日本が先に核兵器を持っていたら、もっと多くの被爆地があっただろう。彼らの核廃絶は理想論にすぎない」と批判した。
▼何故、イランや北朝鮮は核兵器を持ちたがるのか。イランも北朝鮮も「自衛のため」と言う。「恐怖の均衡」や「核抑止力」により自国が守られるとするいわゆる冷戦以来の「核信仰」だ。
▼「生存圏確保」や「自衛」はナチスドイツや軍国主義の日本でも語られていた。また、戦後の世界は核保有国が強力な影響力を持った。国連で拒否権を持つ安保理常任理事国はすべて核保有国であり「核兵器クラブ」と揶揄されたほどである。
▼戦争は古来、「戦争は他の手段をもってする政治の延長」(クラウゼビッツ)で、軍人同士が戦うものだった(カルタゴなど例外もあるが)。それが近代にはいると市民やインフラも対象とする「総力戦」に突入、無差別攻撃の最たるものとして米国は日本に原爆を落とした。
▼ベストセラー『バカの壁』などで知られる養老孟司氏は著書『まともな人』で「なぜわれわれは、戦争がやめられないのか。正義の戦争があるからであろう。さらにいうなら、正義があるからだろう」と看破している。
▼この地上から核兵器や戦争をなくすには「正義という名の原理主義」も廃棄しなくてはいけないのかも知れない。(西)
(CAPITAL06年8月15日号より転載)
▼ネバダ州の核実験博物館では「原爆展」が開幕した。被爆者の声を代表した丸田和男さん(74)は、現在も約一万発の核弾頭を保有する米国に廃絶に向けた行動を求めた。聴衆の多くは平和への願いを真摯(しんし)に受け止めたが、「核廃絶は理想論」との冷めた意見もあった。
▼退役軍人のひとりは「何故あの戦争が始まったのか。日本の中国侵略など米国が核保有を迫られた状況に全く触れていない。もし日本が先に核兵器を持っていたら、もっと多くの被爆地があっただろう。彼らの核廃絶は理想論にすぎない」と批判した。
▼何故、イランや北朝鮮は核兵器を持ちたがるのか。イランも北朝鮮も「自衛のため」と言う。「恐怖の均衡」や「核抑止力」により自国が守られるとするいわゆる冷戦以来の「核信仰」だ。
▼「生存圏確保」や「自衛」はナチスドイツや軍国主義の日本でも語られていた。また、戦後の世界は核保有国が強力な影響力を持った。国連で拒否権を持つ安保理常任理事国はすべて核保有国であり「核兵器クラブ」と揶揄されたほどである。
▼戦争は古来、「戦争は他の手段をもってする政治の延長」(クラウゼビッツ)で、軍人同士が戦うものだった(カルタゴなど例外もあるが)。それが近代にはいると市民やインフラも対象とする「総力戦」に突入、無差別攻撃の最たるものとして米国は日本に原爆を落とした。
▼ベストセラー『バカの壁』などで知られる養老孟司氏は著書『まともな人』で「なぜわれわれは、戦争がやめられないのか。正義の戦争があるからであろう。さらにいうなら、正義があるからだろう」と看破している。
▼この地上から核兵器や戦争をなくすには「正義という名の原理主義」も廃棄しなくてはいけないのかも知れない。(西)
(CAPITAL06年8月15日号より転載)
Thursday, August 10, 2006
最初で最後の熱い夏
▼宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)が書き残した昭和天皇の発言メモは大きな波紋を呼んだ。
▼88年4月28日付メモによると、昭和天皇は「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語ったと記されている。明らかにA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したものだ。
▼昭和天皇は戦後、靖国神社を8回参拝し、75年11月が最後だった。当時から昭和天皇が参拝をしなくなったのは、A級戦犯の合祀が影響しているのではないかとの指摘があったが、その指摘は正しかったことになる。
▼小泉首相は「心の問題だから。強制するものでもない。誰でも自由だ」と何の影響もないことを述べた。政府筋は「皇室は政治利用しないのが一つの見識だ」としたが、中国で反日暴動が起きれば、数千億円単位の損害が出るのではと懸念する経済界はじめ、靖国参拝批判勢力には間違いなく追い風となった。
▼一方で、自民党内にある中国、韓国が反対だから靖国参拝は止めようという「消極論」を民主党の小沢代表は一蹴、A級戦犯は戦争責任があり戦死者ではないことから、合祀(ごうし)は誤りだったとの考えだ。
▼安倍官房長官が、首相の靖国神社参拝について、「(A級戦犯は)国内法的には犯罪者でないと国会で答弁されている。講和条約を受け入れたから参拝すべきでないという論議は、全くトンチンカンだ」と述べた。
▼天皇の不快感メモが明らかにしたのは、靖国問題が、「心の問題」として封印できるものではなく、外国からの圧力の問題でもなく、まず、国内における「歴史認識」の問題としてあることだ。
▼国立追悼施設推進派だった福田元官房長官は総裁選レースから降りたが、日本遺族会会長である自民党の古賀誠元幹事長靖国神社にA級戦犯の自発的な分祀(ぶんし)を促す決意を改めて表明した。
▼首相が8月15日に靖国に参拝したとしても、A級戦犯が合祀された中での、最初で最後の終戦記念日首相参拝となりそうである。
(CAPITAL8月15日号<第16号>より転載)
▼88年4月28日付メモによると、昭和天皇は「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語ったと記されている。明らかにA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したものだ。
▼昭和天皇は戦後、靖国神社を8回参拝し、75年11月が最後だった。当時から昭和天皇が参拝をしなくなったのは、A級戦犯の合祀が影響しているのではないかとの指摘があったが、その指摘は正しかったことになる。
▼小泉首相は「心の問題だから。強制するものでもない。誰でも自由だ」と何の影響もないことを述べた。政府筋は「皇室は政治利用しないのが一つの見識だ」としたが、中国で反日暴動が起きれば、数千億円単位の損害が出るのではと懸念する経済界はじめ、靖国参拝批判勢力には間違いなく追い風となった。
▼一方で、自民党内にある中国、韓国が反対だから靖国参拝は止めようという「消極論」を民主党の小沢代表は一蹴、A級戦犯は戦争責任があり戦死者ではないことから、合祀(ごうし)は誤りだったとの考えだ。
▼安倍官房長官が、首相の靖国神社参拝について、「(A級戦犯は)国内法的には犯罪者でないと国会で答弁されている。講和条約を受け入れたから参拝すべきでないという論議は、全くトンチンカンだ」と述べた。
▼天皇の不快感メモが明らかにしたのは、靖国問題が、「心の問題」として封印できるものではなく、外国からの圧力の問題でもなく、まず、国内における「歴史認識」の問題としてあることだ。
▼国立追悼施設推進派だった福田元官房長官は総裁選レースから降りたが、日本遺族会会長である自民党の古賀誠元幹事長靖国神社にA級戦犯の自発的な分祀(ぶんし)を促す決意を改めて表明した。
▼首相が8月15日に靖国に参拝したとしても、A級戦犯が合祀された中での、最初で最後の終戦記念日首相参拝となりそうである。
(CAPITAL8月15日号<第16号>より転載)
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